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当時の状況 – 大学バスケ部同期 – 小川

大学生 時代

2018年3月から2019年3月までの記録

部活、私生活にて様子に変化(2018/3/1〜)

チームが代替わりして本格的に動き出してきた時期であり、そのタイミングに就職活動も重なっていたため、当時は鬱というものを理解していなかった自分は、原は部活動と就職活動の状況に悩んでいるだけだと思い、同期として相談にのってあげれば解決するだろうと考えていた。

自殺未遂(2018/3/11)

自殺未遂の前日、朝の練習が終わった後にミーティングを行い、「部活は今しかないから集中しよう」ということを話したと記憶している。
同日のその後、2人でチームのことについて話をしたり、就職活動の手伝いをしたりした。この時点でも自分がサポートすれば大丈夫だと思っていた。また、原は精神的に強い人間だと考えていたため、大丈夫だと思っていた。
3月11日は大会運営の打ち合わせがあり、自分はチームと別行動をとっていたため、同期からの電話で原の自殺未遂について聞かされたが頭が真っ白になった。その後、同期で集まった際に涙が溢れた。

入院生活(関東労災病院)(2018/3/11〜22)

この時期から、原の父親からLINEで原の状況について教えてもらっていた。
入院中の原と1度面会をした際、表情も穏やかになっていて回復しているように見えたが、原の母親の気持ちなどを聞いていると、原はチームに戻ってこられないかもしれないと、漠然と感じていた。

でも、お母さんのお気持ちなどを聞いていると「匠はもどってこれないかも」と漠然と感じていた

大阪帰省(2018/3/23〜4初旬)

この時期、チームは順調に成長していて、原のことは心配だが、チームの最上級生として責任感で動いていた。

再び神奈川へ(2018/4月初旬)

この時期は原もだいぶ回復していて、原と直接LINEをすることも増えた。
大学での行動をともにすることがあったが、共通の知り合いに会った際に、人と会うことが原にとってストレスになっていると感じ、原本人も周囲から気にされることが怖いと言っていた。
この時点では、まだ部活動の話をする時期ではなかったが、個人的に「チームに戻って来られなくても良いから回復してほしい」と思う反面、「ここで部活動を辞めてしまったら原の今後の人生はどうなるのだろう」と考えていた。

慶應病院入院(病院から大学へ通学)(2018/4/12〜5/6)

かなり回復していると感じていたが、「チームに戻って、みんなにどう思われるか」ということをしきりに気にしていた。自分としては「絶対に大丈夫」としか言いようがなかった。

チームへ復帰(2018/5/7)

チームでのミーティングの場で原が登場すると、原の心配をよそにチームメイトたちからは拍手喝采だった。本当にいいメンバーだと思い、原も復帰を決めた。

その後の生活・活動(2018/5/7〜)

自分はコーチの役割を担っていたが、最初は強く言ったり指摘したりすることはできなかった。常に鬱のことに気を使いながら引退まで過ごしていた。
夏の合宿の頃にはかなり鬱になる前の原に戻ってきていた。最後の大会の期間中に怪我もあったが、それでも落ち着いていたと思う。
引退は突然だったが、本当に原が戻ってきてくれて、全員で最高のチームを作れて感動した。原がいなければ出来ないことだったし、本当に戻ってきてくれてよかったと感じていた。

引退・卒業(2018/11初旬〜2019/3)

この時点では何も鬱の影響を感じていなかった。再発することも全く頭になく、楽しい毎日を過ごしていた。

社会人 時代

2020年3月から2020年9月までの記録

社会人生活、沈み始め(2020/3月初旬)

この時はまだ知らなかった。

下降ルート突入(2020/4〜6月)

部活動の同期から、原の様子がおかしいという連絡があったり、同期での集まりがあった際に原が顔を出していなかったりと不安を感じたことがあった。
自分から鬱についての話を持ち出すのは良くないと思い、連絡はしなかった。

休職(2020/6/3週目)

原の両親から原が休職して大阪に戻ることについて連絡があり、原が1人ではなくなったことに安心した。

休職期間(2020/6月末〜9月末まで)

旅行で会いに行った際、元気そうで良かった。しかし、今後のこと等で悩んでいることも感じた。
原からの電話で、日本を1周するということを聞いた。鬱になってからは回復したとは言え、鬱以前の原とは違った部分もあったと感じていたが、リスクを顧みずに自分の道を進もうとする姿勢に、以前の原が帰ってきたと感じた。同時に自分も負けていられないと感じた。

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